おすすめの写真集-前田真三写真集

「上撰」前田真三集完全版
(ブティック・ムック No. 740)
ムック– 2008/7

前田 真三(まえだ しんぞう)氏は日本を代表する風景写真家である。
1922年八王子に生まれ、
太平洋戦争を経験し、商社に勤務。
そして写真家を目指す決意を固めた。
その際、長野県旧長谷村戸台にある丹渓荘のご主人、上島四朗氏から写真の指導を受け、
近くの河原の風景を相手に写真の腕前を上げていった。
45歳の時に写真事務所“株式会社丹渓”を設立し、
日本各地の撮影を開始することになった。
当初はカレンダーなどの制作を行っていたらしい。
その後、ポジフィルムのレンタルを開始し
写真集『ふるさとの四季』(毎日新聞社、1974年)
の出版を機に注目を集めるようになり、
撮影活動が活発となっていく。
1985年、写真集『奥三河』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
1987年、北海道美瑛町に、「拓真館」(たくしんかん)を開設。
写真ギャラリー+額装写真・絵葉書の販売など、
撮影拠点でありながら観光施設として有名となった。
1996年、勲四等瑞宝章を受章。
氏は1998年に逝去された。
現在までに40冊以上の写真集・関連書籍が発行されている。

氏は北海道美瑛町、上高地、奥三河、奈良など、北海道から沖縄まで
(初期のころの記録写真によると)SUBARUレオーネという車で日本各地の風景を撮影。
代表的な観光地風景(それまでの絵葉書でよく見かけたような写真)は撮っていない。
上高地のように多くの写真が撮りつくされた場所でも、
自分の意図や理想、世界観を確実に表現した。
初期のころは素朴な農村風景を好んでいた。
モノクロームのその写真もかなりいい。
その後、ふとした光景を上品に洗練されたデザイン力でまとめ上げていった。
幾何学模様のように、デザイン画のように、無駄のない画面構成で
今までにない垢抜けした写真を発表した。
こういった写真作風は「丹渓調」と呼ばれていたが、
氏は「パターン化された写真」と呼ばれるのが嫌だった。
「その地域のエッセンスを表現しているのだ」と語っていた。

氏の写真はその後の風景写真と多くの写真愛好家たちに革命的な変化・影響を与えた。
写真雑誌の影響もあり、構図やフレーミングが真似されるようになっていった。
その流れは現在まで続いている。
転換点・時期がどこにあったのか多くの人は知らないし関心もないと思う。
人気の芸術家のデザインや表現方法が広まっていくのは必然的なことである。

氏にはついにお会いすることなく時間が過ぎてしまったが、
上高地の宿に飾られた氏のシャクナゲの写真を眺めたり
同じ撮影地を何ヶ所も訪れたりしてきた。
また、長野県の丹渓荘、愛知県の豊根村(奥三河)の熊谷家の方々に
昔のお話を聞くことなどもできた。

晩年は美瑛で過ごされたが、
丹渓荘の故上島四朗氏のお話によると
「自分の理想の風景が北海道で見つかりました」
と前田真三氏は当時おっしゃっていたそうである。